35歳の若さで自ら命を絶った鷺沢萠の自伝的エッセイ。彼女の人生の一部に直接触れることのできる貴重な一冊です。激しく力強く、そして一方でとても弱くて繊細な、彼女の心の芯の一端を感じることができます。
作家はこんなにもプライバシーを露出させなければならないのかおすすめ度
★★★★☆
家族のスタジオ写真。鷺沢のそれほどの「家族」へのこだわり。
彼女、家族崩壊を経験したわけではない。写真はその証拠。立派な家族であり、彼女にとって誇りのはずだ。4人姉妹の末っ子。ペンネームの「鷺沢」は父のペンネームから借りたものである。
それだけなら、たぶんエッセー集「私の話」は鼻持ちならない作品になっていた。
ところが中学のころに、父の会社は倒産。やがて父は死んでしまう。
お嬢さんとして育ったものの、ダブルで受けた屈折。これが彼女の創作に彩をつける。
さらに作家デビューしてまもなく自分に韓国人の血が流れていることを知る。彼女自身は差別など受けたことなどないだろうに、ものすごく敏感になっていく。
ひょっとして鷺沢の祖母が韓国人だったという「余計」な発見をして、自分自身を含め、家族に動揺が走ったのではあるまいか。その罪悪感が、差別への文学的こだわりになっていった、そんな想像が浮かぶ。
民族差別への抵抗や解決といった政治的行動ではなく、差別の構造を心理学的に分析していくわけでもなく、文学的に差別体験のエピソードを描写していく。
それでも、初期作品はそのようなことと微塵も関係なかったためか、非民族的に読者は広く獲得してきた。民族性は鷺沢文学の「意匠」といえる。
愛してやまない家族、自分のこと。「1992」では自分の離婚のことや母の乳がん手術。「1997」では売れっ子作家になっての生活。風呂嫌いのエピソードがあるが、五木寛之が売れっ子だったころのエピソードを思い起こさせる。五木もまた風呂に入るゆとりが無くなったためか、一年間も入らず、髪をまとめるのにツバで髪をなでるなど、嬉しい悲鳴のような話がある。「2002」は神奈川県川崎市の在日韓国人との交流。
初期作品を除くと、本書のように、どうもエッセーの方が小説よりもおもしろい、パンチがある。小説も書けるエッセイストのスタンスのほうがよかったんじゃないかな。
納得の出来
おすすめ度 ★★★★★
はっきりいって、すさまじい出来です
。TOP100ランキングに入っているのでご存知の方も多いと思いますが、
買って良かったと思います。